Marmalade-bomb


     5



ポートマフィアとお近づきになったその上で、
このヨコハマを足場にし、やりたい放題を繰り広げていたとある新興の組織があって。
路上荒らしやコンビニなどへの嫌がらせから、因縁つけての恐喝など、
歓楽街の闇の深淵にて諍い起こす破落戸集団を抱え、
この街の大立者であるポートマフィアが禁忌としている
麻薬の売買へも手をつけている図に乗った行動へ。
軍警が腰を上げたのとタイミングを同じくして、
その提携部分を暴かれぬようにか
其奴らの口封じにと迅速な行動に打って出たマフィアに先んじられぬよう、
武装探偵社にも 悪事への動かぬ証拠を押さえよとの依頼が降りて来て。
周到な陽動を敷いた上で、マフィアが放った先鋒は 荒事への鬼札二人。
一人は首領直属の遊撃部隊を率いる、悪食な異能“羅生門”を操る芥川龍之介。
もう片やは、五大幹部の一隅を務め、
こちらも荒事にかけては他の追随を許さぬ武闘派筆頭、重力使いの中原中也という、
知る者は地獄からの迎えの方がましだと後も見ずに全力で逃げ出すだろう、悪鬼のような男たち。
当人の膂力に関係なく、黒獣は疾風のように宙を駆け、
獲物に食らいつきて切り裂きもすれば抉りもし、
巻き付いて絞り上げ、その先の部位を千切りもする残虐さで敵を如何様にも屠る異能で。
重力使いの異能はもっと神懸かりで、
手も触れず、何なら距離も相当にある相手へ、
その意思を載せた視線一つ、指先をクリックするだけで、
その身がひしゃげるほどの重力を掛けることも、
弾丸級の威力を孕ませた飛礫を見舞うことも容易というから。
標的だとされた時点で其奴の存在は終わったとみていいとさえされる、
裏社会の畏怖を一手に集める、黒衣の魔王。

 そんな人だというのは、書面では知っていたし噂には聞いてもいたが、
 それでも自分が知る中也は それは凛としていて尚且つ優しい男性で。

組織の上級階層に位置する彼は、火力という意味での実力もあったが人望も厚い。
懐へ掻い込んだ者へのいたわりを忘れぬ男気もあったが、
組織やその長への忠誠心も厚く、自分の命も意思も二の次にするその姿を忽せにはしない。
上の者がいい加減では下の者が動揺するからで、
そんな基本が息をするよに身についている彼は、任務中は自身を律し、冷酷に徹する。
それこそ、自分を慕う部外者に酷な場面を見せることも厭わず、
その子が願う哀訴も踏みにじり、
使命を優先すべく、それは残忍なマフィアの死神として任務を成就する。
ここで忘れてはならないのが、首領の指示は絶対であることと並び、
マフィアにとっての面子というものが高位で尊ぶべき財だという通念で。
小物からいいようにあしらわれたなんて事実は、物理的な実害がなくても放置できない事態であり、
鷹揚で許容豊かな人物としては看過出来ても、
そうでない人材も多数抱えている組織としては大きな負債に他ならぬ。
看板に泥を塗られて黙っていては舐められると、
放置していていい筈がないというのが裏社会での当然の理念であり。
中也自身の許容がどれほど広かろうが関係ない話だし、
首領ご自身は懐ろが深くあられても
組織としての筋が通らないからねぇと仰せなら、
理屈もなにもざっくり切り捨て、諾として従うのが幹部ならずともの常識で。

  そんな任務を負った中也を、
  それでも懸命に引き留めんとしていた敦だというに。

恐らくは…マフィアの実力者が たかが小僧の説得に折れるはずはなかろうという、
極めて一般的な物差しからの判断と利己的な独善から。
自身の前に立って盾になっていた少年を卑怯にも背後から撃つという“功績”をもって、
自分を逃がせと安易な取り引きを繰り出した下衆へ、

 中也がどんな憤怒を抱えたかは想像するのも容易なこと。

撃たれた敦以上に驚愕の表情を浮かべ、
その双眸を括目していた彼は、まるで自分がひどく裏切られたかのような貌をしており。
そこから表情が剥がれ落ちたあと、冷ややかに笑っていたのはきっと、

  __ほらな、こういう奴がいるんだ、世の中には

庇ってやるこたなかったんだと。
手前が身を挺して護ってやるなんて勿体ない、
そんな奴だってこと、知らなかったんだなぁと。
切ない心持を抱えたまま 真剣必死に説得にあたろうとしていた
敦を憐れんでのそれだったに違いなく。

  清いまま大事にしたかった存在だのに、
  目の前でその身と尊厳とを傷つけられた、と

それにより敦よりも傷ついた中也なのだということが辛くて歯がゆい。
コトの運びに自分が居たがため、冷静でいられなくなった彼なのが苦しい。

 “だってボクは…。”

中也さんが思うような純真無垢な子じゃあない。
その人の命を庇ったんじゃない。
中也さんにこれ以上何かを負ってほしくなかっただけで、エゴの塊で。
自我を封していた中也さんの方がよほど崇高かもしれなくて、
しかも結果、そんな人に怒りを植え付けてしまって。

 「いい子だ敦、大人しくしてな。」

ゆらりと歩み始めた彼を、
その身へ取りすがってでも制したかったが、
呼吸でさえ総身に駆け回る衝撃を飛ばすほどの激痛がそれを阻む。


 「ちゅうや、さんっ!」


これ以上はないという愁嘆場。
生身の生命のみならず、心の均衡までも持っていこうという修羅場の極限。
殺人という形でその手をこれ以上 血で濡らさないでと、
立ち上がれぬまま いざるように振り返り、
覚悟を決めた男の毅然とした背へ手を伸ばしかかった敦だったのへ、


 「ちょっと待ったぁ。」


轟々という猛火による対流風が吹き荒れる中、
それは伸びやかな声が禍々しい空間へ割り込んだ。
空耳とするには聞き覚えのありすぎる。しかも張りのある声だったのと、
それへ続いた“そぉれ”という何だか妙な掛け声が二人分。
文字通りの横槍ならぬ、横入りという格好で突入してきたそれは、
声でだけの不意打ちにとどまらず。
そぉれという掛け声に乗って宙を飛んできたものがある。
抛られたのは何かが詰まった大人の拳くらいのガラスの瓶たちで。

 「…ジャム?」

重量はあったか、ゴロンゴロンと周囲へ転がり、
足元にまで転がってきた小瓶を見下ろした敦が呟けば、
投げた御仁からの訂正が入った。

「ママレードだ。」

業火の赤々とした明るみのみに照らされていては、イチゴかオレンジかの見分けもつかぬ。
なのに胸張って言い張る芥川なのへ、へにゃりと眉が下がった敦へ、

「此処が表向きに扱ってる商品さ。
 流石はただの隠れ蓑で、味はいまいちらしいけど。」

まだ幾つかを手にしたままな太宰が、そんな言いようで付け足して。
20個近いそれが どかどかどかと結構な強さで当たって
さすがに痛かったのだろう、若しくは当たり処が悪かったか 支社長は既に伸びており。
その手から取り落とされた拳銃を 太宰が容赦なく拾い上げている。
急転直下も甚だしい場の空気の緊張感の変化に、敦は思わず肩の力が抜けたが、
忌々しげに顔を歪めたのが中也のほうで、

「…芥川、太宰相手に何を絆されてやがるかな。」

足止めという役割を与えたはずで、
敦が飛び込んで来たのさえ本来ならば失態だというに、
この運びは何だと、声も表情も尖ったままの彼へは、

 「そんな大層な展開じゃあないのだよ、中也。」

ちっちっちっと、人差し指を立ててワイパーのように振って見せつつ、
太宰が鹿爪らしい表情を取り繕い、

 真剣本気、それは真摯に構えてたキミらには悪いけど、
 そっちの頭目殿が、人の本気を弄ぶような性根の悪い悪戯を またぞろ構えてたらしくてね。

彼がその手に居遺した瓶の中には、
お馴染みのオレンジ色したママレードの他に
何やら黒っぽいソラマメみたいなものも入っているようで。

「確かに、首領様からの指令は絶対だろうさ。」

マフィアにとっては面子もまた軽んじてはいけないことも重々承知。だが、

「その首領さんが、随分と気の抜けたことを言っててねえ。」

そうと言って、外套の衣嚢から取り出したのは、
ちょっとしたテレビのリモコンくらいの大きさだろうか、
ハンディタイプの録音機。
側面のスイッチを入れると、
衣嚢越しでしかも時折対流風も吹く中ながらも
なかなかクリアな音声が収録されていて…。



     ***


時間を少々遡り、
階下の踊り場にて向かい合う格好となった元師弟ふたりだった時点まで立ち戻る。

「人虎を中原さんへあたらせるとは、太宰さんも酷いことをなさいますね。」

想い合う二人を対峙させるなんて非道なことを構えたものだと、
敦を先へ進ませたのを非難されても動じぬまま、太宰もそれは真剣本気な対峙を構えていた。

「私の関心事はキミの成長の度合いだけだよ。
 私が認めたという格好で、
 目標が無くなれば伸びしろもなくなる腑抜けだったのかな?」

「……っ!」

自分がそうしているように、
長い外套の衣嚢に手を入れたまま、
その背条を弓なりに伸ばしてすっくと立っている偉丈夫様。
仄昏い空間は焔が躍ることで黄昏時のような明るみだけが照らしており、
目許まで降りた蓬髪が影を落とした太宰の顔に
どんな表情が載っているかは窺い見ることも叶わぬものの、

「異能に頼るばかりのキミが、私へどう対処するのだね?」

弾丸でも炎でも何なら空間さえ食らうという羅生門は 戦闘において最強の異能だが、
それを操る芥川自身は
育ちの後遺症というものか なかなか強靱な体躯にはなれぬままであり。
ただ小柄だ痩躯だというだけなら中也のように鍛えようもあるが、
肺か気管支に機能的な欠陥があるものか 体力にも限度があるらしく、
正直、その戦いようは気概で支えられているといっても過言じゃあない。

「…手をこまねいていた訳ではありませぬ。」

味方になったなぞという甘い考えは持ってはいない。
師はあくまでも探偵社に籍を置く存在なのだから、
こうして角突き合わせる可能性もあるとの覚悟もあってのこと、
芥川なりの対策はしっかと編んでいたらしく、

「…っ。」

勢いよく暗幕が広がるがごとくに、
彼の痩躯を中心にして漆黒の刃が目に見える疾風のように四方へ広がる。
そのまま対峙する太宰へ目掛け、一斉に襲い掛かるかに見えたが、
黒獣の切っ先はすんでの位置で先端を床へと埋め、あるいは天井の建材を抉る格好で
堅い礫を跳弾もかくやと飛ばしたり、雨のように太宰へと降らせ始める。
異能無効化へは、直接触れぬ戦いようがあると、
周囲を抉って破片を飛ばすという攻勢を構えた彼だったようで。
日頃の従順な様からは思い及ばぬ、
容赦のない飛礫攻撃で彼の人を傷めつける芥川であったけれど、

「よく考えたね。だが、」

顔や目許へ飛び来る砂塵へはさすがに閉口したか、
顔近くに上げた恰好の両腕を楯のように構えた師だったが、

「確かに私も、キミを詰れないほど物理攻勢にはさして抵抗できぬ身だが、
 だからと言って無策ではいない。
 ましてやキミを相手に、後れを取りはしないさ。」

本格的な武闘派に比すれば膂力は大してないが、
飛び抜けたそれだった勘と反射は鈍らせぬまま研ぎ澄ませてある。
身を低めたそのまま、脚にためたバネを生かして左右へと飛びすさり、
俊敏、且つ効率よくその身を躍らせて、
致命傷となりそうな破片だけ何とか弾き飛ばして避けると、
効率のいい体裁きで、右へ左へ黒獣からの飛弾という追随を躱しつつ、
芥川本人のすぐ間近という間合いへするりと飛び込んでしまう鮮やかさ。

「そもそも それはキミとて変わらない。
 敦くんとの角突き合いで多少体は強くなったが、それでも私と似たような級だろう?」

「……っ!?」

 こうまで至近に迫られては、
 キミもまた飛んでくるあれこれの被弾は免れられない。
 何ならいっそ、このまま互いに殴り合うかい?
 キミ程度のレベルが相手なら、何とか最後まで立ってられる自信があるよ?

「う…。」

言葉に詰まる相手へくすと笑い、

「まま、今日のところは此処までだ。」
「え…?」

すいと手が伸び、弟子の青年の黒外套のあちこちへすべり込んで何かを摘まみ出す。
じゃらりと手のひらへ集めて見せたそれは

「言っとくけれど私が取り付けたわけじゃあない。そんな隙も暇もなかったでしょ?」

7,8個はあろう数の、ボタン型の盗聴器だ。しかも、

「…この型は。」
「少しはクラスチェンジしてるようだが、ウチのにはまだまだ劣るタイプのだね。」

元在籍していた組織だ、どのような仕様のものを使っていたかは記憶にあるが、
それから多少は進歩したらしいものの、
探偵社が使っている高性能のものにはまだまだ比べようもないレベルだと失笑した太宰。
そのまま自身の耳に装着していたインカムの脇、ダイアルを操作しつつ、
芥川の耳元から彼もまた装備していたインカムを一応は丁寧に外してやり、
時折 キィィンというハウリングが起きるのを確かめつつ周波数を探る。

 「…森さん、この数の盗聴器とはどういうつもりです?」
 【なに、キミが相手では無線機のジャミングやハッキングなどお手の物かと思ってね。】

オープントーク仕様へと切り替え、
芥川にも聞こえるようにとしたインカムからこぼれて来たのは
間違いなく彼らの首領・森鴎外の声に他ならず。

 「確かにこの型なら造作もないですが、
  それにしたって代替品が“盗聴器”はないでしょう?」
 【何の話かね?】

おや?とくっつきそうな語調へ、太宰はやれやれという渋い顔つきになり、

 「途惚けないでくださいな。
  携帯端末へアプリを潜入させるなりした方が確実でしょうに、
  こんなプロトタイプの、
  近くに受信機がないと何も拾えないようなものを使うなんて、何を企んでいるのやら。」

相変わらず、どれほど毛嫌いしている相手であるものか、
太宰の辛辣な口調は留まるところを知らぬそれで。

【お言葉だが、芥川くんには樋口君が、
 中原君には征樹君という難攻不落のガードがついているのだよ?
 怪しいアプリなぞどうやって紛れ込ませられるというのだね。】

「成程。ですが、だからとするには理由が薄いですよ?」 

そも、こんな事案にこんな回りくどい手を使う必要はないでしょう。
此処のトップとやらへも大して尻尾は掴ませちゃあいない。
どれほど軍警や公安が頑張っても、
土地建物を貸借しただけという関わり以上へは踏み込めないし付け込めない。
その程度を探られる程度でぐらつくような身代じゃあないでしょう?

 【まあね。今更、軍警や官憲がおっかないってわけじゃあないさ。】

此方の組織についてだって妙な対処を構えたものだ。
ポートマフィアを利用するよな厚顔さへ、
他への示しをつけたいならならで、いっそ此処をこそ爆破すりゃあいい。
今日一日、構成員たちに目くらましの陽動をさせ、
挙句に小火を出すなんて騒ぎを起こさせてたようですが、
同等の人海戦術を繰り出せば、周辺への被害を押さえる手はずだって大した差はないはずだ。
鬼札を二人もわざわざ投入するなんて最適解とは言えない。
それが周辺組織への見せしめだとか “私たち”への挑発ならともかく。

「まさか 中也やこの子の忠心を疑っているのですか?
 それが勅命なら
 最も大事な存在よりも
 あなたを優先して死地にだって立つようなお馬鹿な子らだというのに。」

皮肉たっぷりに訊けば、

【 ……。】

さほどの遠距離同士でなし、
タイムラグなんてなかろうに、僅かほど応答に間が挟まってから、

 【さすがにそれはないな。】

苦笑を含んだ声が返る。
図星を差されて言いよどんだか、いやいやそうと疑われるのは織り込み済みだったはずで。
むしろこちらがこうも早くに其処を衝いて来たのが意外だったのかも知れぬ。

 【強いて言えば、裏社会の抗争になれば両方一挙に刈れると思ってか、
  出足が遅かった虫のいい軍警に花を持たせる気がなかったことと、】

此処でいかにも笑ったらしい吐息がマイクにかぶさり、

【キミがどんな言いようで
 そこまで芯の強い、覚悟のある子らを絆すのかと思ってね。
 今のウチには手八丁はいるが口八丁はなかなかいなくて参考資料が欲しかったのさ。】

 人の気持ちを弄んでいるには違いない。
 相変わらず趣味の悪いことをする人だ。だから手児奈にも疎まれるのですよ。

余程に性能がいいものか、相手側から少女の浮かれたような笑い声が聞こえ、
エリスちゃん、ここ嗤うとこじゃないってという情けない声が挟まった。
いかにもな格好ながら、お相手の痛いところを的確に衝いてから、

「この子は貴方からすりゃ手飼いの狗かも知れないが、
 私の大切な弟子でもあるのだ、勝手はさせない。」

だしにして私を釣ろうなんて料簡だったらもっといただけない。
それとも、よっぽどのこと、本気を出した私に追い詰められたいのですか?



 to be continued. (18.04.28.〜)





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 *長いぞ、修羅場。しかも雲行きが怪しいし。(笑)
  大した敵じゃないのに身内に足引っ張られてたって内情へ、
  中也さん憤死しなきゃあいいけどね。